● W不倫をしている・・
W不倫をしている・・
不倫は文化と、過去誰かが言ったように、世の中には不倫という形でしか成り得ない愛も沢山あります。
しかし、道徳的に考えれば不倫は悪に当たります。
不倫根絶や、不倫反対と声高々に言っている人も居ますが、その人たちもパートナーよりも素敵な異性が現れ、
あまつさえ、その相手が自分に対して好印象を抱いているというシチュエーションがあるならば、心揺れない訳がありません。
人間が素敵な異性に対する欲求を行動に移す、言わば本能的な行動に対して制約をする事は、自然界から言って不純なのです。
他の動物は、交配期に同じ異性と交わるというのは稀で、毎回違う異性と交配をしています。
人間は脳という考える器官が発達し、愛や恋、それに対なる憎悪や嫉妬が芽生えてしまい、
また宗教観が浸透している事によって不倫が不道徳と考えられてきています。
嫉妬や憎悪が限界まで達してしまうと、関係の縺れによる暴力や嫌がらせ、はたまた殺人まで及ぶのですが、
それに対して本能的に嫉妬を相手にぶつけている人は同情を得て、本能的に素敵な異性に対して揺れている人に対しては
蔑みや侮蔑を伴うのは何故なのでしょうか。
故に、その道徳というものが、全てを判断してならないからです。
道徳と一言で言っても、その判断は人それぞれ、千差万別です。
その別々の考えに対して、不倫を悪と定義付けたのは嫉妬の心以外の何者でもありません。
つまりは、不倫は悪・不倫は罪と宗教家が謳っていますが、嫉妬心により捻じ曲げられた宗教観としか言い様がありません。
その捻じ曲げられた宗教観により、不倫が悪とされ、それを鵜呑みに世界は不倫を悪と考えてしまう。
この考えを矮小といって他なりません。
その考えから脱却し、不倫を堂々と行う事こそ、新たな人間の文化なのではないでしょうか。
また、とある映画では、科学の進歩が目覚しく、性交渉を行うのにも頭にボウル型の装置をつけ、人為的に脳内に興奮と快感を与える装置があり
誰とでも気軽に脳内(想像)の中でセックスが出来る様がありました。
その映画の様に、科学が進歩をしその様な機械ができてしまった時、貞操観念という概念が根本から崩れ落ちてしまいます。
宗教家は、その事に対しても不貞と呼びかけるかもしれませんが、行っている行為は装置を頭にだけ付け、
妄想内で興奮と快感を得て、相手をお互い特定しているだけになるので、不貞にも何にもなりません。
この先、本当に不倫は文化となってしまう日が来るのではないでしょうか。
人類は新たな愛の形を受け入れるのでしょうか。
by L
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